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延暦寺は滋賀県大津市と京都市左京区の県境にある、比叡山(標高約848m)一帯を境内とする日本の天台宗の本山寺院です。山内は東塔、西塔、横川(よかわ)という3つの区域に分かれていて、これらを三塔といい、これをさらに分けたものを三塔十六谷二別所と呼んでいます。
延暦7年(788年)、最澄によって現在の東塔の根本中堂がある場所に一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされています。
時の天皇である桓武天皇は、以前から権力を保持していた仏教宗派(南都六宗)への牽制も兼ねて空海や最澄を支援します。
最澄は延暦24年(805年)に唐に渡り、天台数学、戒、禅、密教の思想を学び、これらの思想を取り入れて日本独自の天台宗を唱え、全ての人が菩薩であり、仏になる(悟りを開く)ことが出来ると説きます。
当時の僧という身分は国家資格で、僧になる儀式を行う戒壇は奈良の東大寺、大宰府の観世音寺、下野国の薬師寺にしか認められていなかったことから、最澄は比叡山に戒壇を設立することを目指しますが、許可されたのは弘仁13年(822年)、最澄が亡くなってから7日後になります。
戒壇の設立後、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮といった日本史における著名な僧を輩出していきます。
後に延暦寺は武装化した僧など、武力を持つ勢力として当時の権力者に危険視され、織田信長は延暦寺に武装解除するように要請しますが、延暦寺側がこれを拒んだために焼き討ちにされてしまいます。
信長の死後、延暦寺は豊臣秀吉や徳川家康らによって再建され、国宝の根本中堂は徳川家光が再建しています。
古都京都の文化財として世界遺産(世界文化遺産)に登録されています。