蓮如上人御廟所

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山科別院の歴史

この地は以前、本願寺中興の祖で本願寺第8世の蓮如が創建した山科本願寺がありました。敷地は広大で、周辺には集落が点在し、堀や土塁を築いて城郭都市のような様相を呈していたとされています。

天文元年(1532)の山科本願寺の戦いで山科本願寺を焼失してしまいます。京を追われた本願寺第10世の証如は、大坂にあった石山御坊を石山本願寺と改め、教団の本拠地とします。天正19年(1591)本拠地は京都堀川の地に移りますが、江戸時代初頭に本願寺は東と西に分裂してしまいます。

享保17年(1732)蓮如上人御廟所の近くに、西本願寺は本願寺山科別院(舞楽寺)、東本願寺は東本願寺山科別院長福寺を建立します。御廟所は両別院で管理され、近くには蓮如上人立像跡(※1)があります。

(※1
昭和9年(1934)に完成した、高さ約10メートルの像でしたが、昭和19年(1944)供出のために台座だけになってしまい、蓮如上人立像跡と呼ばれるようになりました。(画像

本願寺山科別院の画像


本堂

正門

中宗堂

本堂と中宗堂

寺務所

太鼓楼

伊勢講舎

東本願寺山科別院長福寺の画像


本堂

正門

蓮如上人像

太鼓楼

本堂と蓮如上人像

イチョウ

鐘楼
last update
2013-04-09